【対談・ニューズドテックを語る】髙倉 博×粟津 浜一
2015年2月、台風が過ぎ去った後の北海道で、あるニュースが全国放映された。
「札幌『看板落下で女性重体』30年間まったく安全点検せず!強風でなく人災」
2017年3月には、この看板を付けていた飲食店に業務上過失致傷罪の有罪判決が出された。
このニュースを見て、自分の使命は看板で悲しむ人をゼロにすることだと。
そう話すのは、サステナブルサイン 株式会社レガーロ 代表取締役 髙倉博氏だ。
劣化をビジネスで解決していくという部分だけではなく、経営や人生に対しての考え方などが共通する部分も多い社長同士の話。
創業の思い、NewsedTechとの思いも掛け合わせた言葉で聞いてみました。
看板事故をきっかけに使命が誕生した
粟津 本日のゲストは株式会社レガーロの髙倉社長です。よろしくお願いします。
髙倉 よろしくお願いします。
粟津 早速ですが、会社の紹介をしていただけますか?
髙倉 今年で25年目を迎える、簡単にいうと看板屋です。
会社の使命は“看板で悲しむ人をゼロにする”です。多店舗展開企業に特化したサービスを提供しているので、お客様は全国におり、幅広くやらせていただいています。
粟津 使命、いいですね。使命が生まれた背景について教えてください。
髙倉 業界に入って10年くらい経った時、北海道で看板落下事故がありました。
その落下事故で「女性が重体になった」というニュースで、我々の看板ではないんですけど、同じ業界として看板が人を傷つけるということにすごいショックを受けました。
「このままではこの業界がなくなってしまう」とか、「自分はその世界にいて、自分さえ良ければいいのか」ということを思った時に、やっぱり『看板で悲しむ、苦しむ人をゼロにする』が使命になりました。2015年の事故だったので、7年くらい前の話ですかね。
粟津 以前はどういった使命だったのでしょうか?
髙倉 「快適の創造」という言い方をしていました。
どんな業界でも、不安や不便をなくすために僕は生まれたんだと思っていたので、「快適の創造」というのは、不安や不便をクリエイティブで解決していくということで色々なサービスを展開してきました。今思えば、それだけだとピタッと腑に落ちるところまではいっていないと感じていました。
粟津 ピタッと腑に落ちたのが、その北海道の事故だったと。
髙倉 それは、お告げを聞いたような感覚でした。
なんとなくニュースを見て、それで動く業界人はたくさんいたんですけど、元々の使命にぐっと背骨が入ったという感じで、本当に降りてきたという感覚です。
今も「なんで、その使命を思いついたんですか」と聞かれるのですが、いつしか言ってました。
社長になることを予言していた15歳の自分
粟津 幼少期とか生まれた時の髙倉社長はどんな人だったんですか?
髙倉 幼少期、小学校が終わるぐらいまでは、とにかくイタズラ大好きで男三兄弟の真ん中でした。
やんちゃ坊主で、小学校に行っても「今日はどんなイタズラしてやろうか」ばかり考えていました。(笑)
画鋲を椅子の上に置いたりとか、椅子引いたりとか、輪ゴムで何かしたりとかっていうのを一通りやって。
小学校時代は、廊下にいる時間の方が長かったですね。「廊下に立ってなさい!」みたいな、サザエさんのカツオのような人間でした。
粟津 カツオなんですね。(笑)
髙倉 小学校6年生まではものすごく楽しかったのですが、勉強は全くしてなくて。
小学校6年生から中学校に上がるタイミングになると、僕らの時代は真面目に勉強するか不良になるか、部活を真剣にやるか、だったんですね。
僕は、勉強はいやだし、部活は別にレギュラーじゃなくても別にいいやって感じだったし、不良になるのもなんか違ったし、中学高校は居場所がなくて、全然楽しくなかったです。
でも、高校3年間無遅刻無欠席だったり、小学校も2日くらいしか休んでいないんです。とにかく学校はちゃんと行っていました。
粟津 その時は、目標や夢はあったのでしょうか?
髙倉 全然ないですね。1985年、僕が中学生の時につくばエキスポに連れて行ってもらって、2000年の自分に手紙を書いてみようっていうのがありました。全然覚えてなかったんですけど、2000年に15歳くらいの僕から手紙が来て、
「社長になってる?家を持っている?結婚している?子どもが2人いる?あなたは達成していますよね?」
という内容でした。子どもが一人だけということ以外は全て達成していました。30歳の時に自分が中学生の時から社長になりたかったんだって知りました。
粟津 そのころから、お父さんの影響が強く出ていたんですね。
髙倉 そうでしょうね。サラリーマンという選択肢はありませんでしたから。
粟津 どんな会社の社長になると、書いてありましたか?
髙倉 何にも書いてありませんでした。僕は自分の能力を否定していたので、スポーツもダメだし、勉強もダメだし、大学も行けなかったし。なんなんだろうなーって。でも一発逆転したかったんだろうなって思います。
やる気スイッチが入ったのは21歳くらいからで、「社会では負けねーぞ」というのがあったのかもしれないです。
時代背景もあって、バブルが激しく騒がれていた時に、一発逆転だとか上場でもして40歳でアーリーリタイアでも出来たら。そういう感じはありました。だから、社長になるぞというのはだんだん強くなっていきました。
次男坊が持つ、容量の良さとバランス感覚とは
粟津 実際に起業したのはいつでしょうか?
髙倉 28歳です。
粟津 「社長になる」までは、どんな社会人だったのでしょうか?
髙倉 サラリーマンを7年経験しました。最初は父が経営する会社に5年間勤めました。今まで好き勝手してきたのに急に二代目候補としてカチッとされるのがいやで、喧嘩して辞めてしまいました。
その後、先輩の会社を2年間手伝い、またそこで喧嘩して辞めて。じゃあ僕は自分でやります…みたいな。今思えば失礼極まりないですね。
粟津 喧嘩ですか?
髙倉 喧嘩というか「こういう条件でこうしてください」とか「これだけやるなら、この金額ください」みたいな、でも「そんなには出せないよ」ってなり。
結果を出して言うことを言うタイプだから、周りから煙たがれちゃって、口が立つって言うのは昔から言われてきましたね。
粟津 髙倉社長は要領がいいと思います。
髙倉 要領がよいという側面と経験っていうのがあるかなと思います。
80%くらいの力で走り続けて、瞬間的な力を出す。それこそ、三兄弟の次男坊だから、どうやったら勝てるかを常に考えてました。
粟津 その“次男坊”は、どのあたりに生かされていると思いますか?
髙倉 人の顔色を観察したり、人が喜ぶポイントっていうのがわかるのは強みになっています。お客様の困りごとを聞き、解決する仕事なので、上手くハマっているのかなと思います。
あとは、意識はしてないですが、人が集まってくるタイプなんだと、周りに聞かされて、それも“次男坊”が生かされているんだなって思います。
粟津 側から見ていても感じます。こいつにはこういうプレゼント。こいつにはこういうプレゼント。みたいなバランス感覚とか(笑)
髙倉 薔薇の花じゃなくて、何が好きかをジャッジして贈るみたいな。
使命が見つかってから、とても楽になった
粟津 自分のことを、直感型か、統計型かって言われるとどちらでしょうか?
髙倉 完全に直感型ですね。事業を考えるとき、何にも調べたりしません。
看板ドック(株式会社レガーロのサービス)もそうですが、やるって決めたらやります。よく「競合が…」とか「こうだね、ああだね…」とか色々と言われますが、そんなの全然興味ないです。根本的にはやりたいことしかやらない。
経営する前は「楽しい人生を贈る」と言うのが自分の人生の使命でした。その「楽しい」はワクワクドキドキで、常にそんな感情でいたいなと思いました。
社長で悩んだりしているときに「好きな人と好きなことを好きなようにやってるだけでしょ。なんで悩んでんの?」と嫁さんに言われて、あ、確かにそうだなと思いました。
だから、本当にその通りなんですよ。やることも、採用も、お客さんも、全て自分がやっています。もちろんうまくいかないこともありますけどね。(笑)
粟津 どこかで吹っ切れたタイミングがあったのでしょうか?
髙倉 会社をやっている中で社員に対して「気合いだ!根性だ!」とか言っていた時は、社員がどんどん辞めていきました。でも、結局うまくいかないから、そのうまくいかない理由を見つけるために、自分のことを見つめ直す時間を2年くらい取りました。
年を取ってきたこともあって、周りの評価などを素直に受け止めることができて、そこから力を入れられるようになってきました。
舐められてもいいし、俺は俺だからと、考えるようになったのです。特に、この2年で大きく変わったかなと思います。
粟津 ある意味悟りに近づいてきてる?(笑)
髙倉 そんな感じです。『看板で悲しむ人をゼロにする』という使命が見つかってからは、ものすごく楽になりました。
勝ちとか、負けじゃなく、俺にはこれしかない。これしかやらないと決めたことで雑念がなくなり、社員に対しても「そのために何ができるか」っていうのを伝えることで、それが悟りっていうか楽になったし、ぶれなくなりましたね。
使命に対して善か、悪かで考えることが重要
粟津 軸がブレない。軸があるとそれに対してイエスかノーかの判断ができて、何を言われても関係ない。ですね。
髙倉 どうしたら良くなるかというよりは、使命に近づいているか、否かのジャッジだけなので、そこにお客様や社員がついてきてくれているという感じです。
最初はモーゼの十戒のようにバーって道が開けすぎて怖いという感覚がありました。「ああ、ここを歩けばいいんだ」って。
これまでは、この先どうやったら儲かるかってことを一生懸命考えて、悪戦苦闘してましたが、使命が降りてからは、そこから道が開けた感覚です。
粟津 髙倉社長の先生みたいな人はいらっしゃるのでしょうか?
髙倉 社員が増え、離職者が続き悩んでる時だから、起業して10年目くらいに盛和塾(元京セラ代表の稲盛和夫さんが立ち上げた経営を学ぶ会)に誘われました。経営の世界はどうやったら儲かるか、損をしないかが重要だと思っていましたが、稲盛和夫さんの「経営は善悪でいいんだよ」という言葉に救われたのです。そうか、使命を貫けばいいんだって教わり、それからすごく楽になったのを覚えています。
粟津 その善悪とは、具体的にどういう事でしょうか?
髙倉 『看板で悲しむ人をゼロにする』ためにそれは善ですか?悪ですか?という問いに対して、安全を第一としなければ、利益は残りやすい。ただそれは使命としてはありえない。損得が第一ではないと言うことです。
粟津 使命に対して善か、悪かを判断する。とてもわかりやすいです。
髙倉 看板で悲しむ人をなくすためなら、安全が第一じゃないとだめですし、安全第一かどうかだけの判断で儲からないんだったらやめればいい話です。業種業態じゃなくて使命に対して善か悪かを判断します。
使命と一致した事業「看板ドック」とは
粟津 ありがとうございます。使命ができ、看板ドックを始めてから、どのくらい経つのでしょうか?
髙倉 およそ2年が経ちました。
粟津 看板ドックが生まれたストーリーを教えてください。
髙倉 (看板落下の)事故が起きて、何が問題かを調査してた時に、最初は手抜きしてる悪い奴がいると思っていたのです。しかし、みんな真面目にやっていたのです。問題は、点検の方法であり、外観を見るだけ、定性的な感覚に基づくジャッジしか、これまでしてこなかったのです。
その問題を解決するためには、定量的に数値で診断できる仕組みを作れば良いとわかりました。看板ドックで数値を算出し、診断カルテで報告できるようになったのです。まさに人間ドックの看板バージョンです。
粟津 現在、看板ドックは何社導入されているのでしょうか?
髙倉 今は6社くらいです(11月現在)。これまでに実際に点検をしたのは3社です。今年に入って稼ぎ頭になりそうな勢いでスタートしています。
粟津 その流れになった背景を教えてください。
髙倉 建設設備コストが上がった事もあり、これまでなら新店に1億円かかるところを、今は1億5千万円になりました。出店コストが嵩むリスクがある中で、既存店の看板のメンテナンスをやろうという動きになり、看板として使えるものは再利用しようと言う風潮が、今年は大きくなりました。
粟津 外的な要因もいくつか重なった?
髙倉 それもあります。しかし、看板のサステナブルは必要なもので、やるべきことだと、お客様もわかっていました。これまでに実験もしてくれて、じゃあ必要だねと言うことで、今年の夏にスタートしたのです。
粟津 まさに、時代が追いついてきたのですね。
髙倉 いろんなバランスが整ってきた時に、時代が来た感覚です。これが3年前だったら対応できなかったと思います。
気づきの中で、一歩先を読む力が大切
粟津 最近読んだ雑誌に「時代を変える人は時代を読む力が非常に高い」と書いてました。髙倉社長は、まさにそうだとおもいます。
髙倉 時代を読む力は強みだと思っています。それとは別にお客様からの傾聴もとても大事だと思っています。よく社員に「女の子を口説くときにIFの法則を使え、練習しろ」って言っています。
例えばこうです。「Q:もしデートするなら?」「A:ディズニーランド?ディズニーシー?」。「Q:じゃあもし行ったら泊まる?泊まらない?」、「Q:並ぶ並ばない?」、「Q:夏がいい冬がいい?」とか聞いていくと、段々と顧客のドメインが決まり、3〜4社、重なってくるところが見えてきます。それを解決する商品やサービスがないところを探すんです。誘導尋問じゃないけど、それが普段の習慣になっています。
粟津 社員もそういうスタンスですか?
髙倉 僕は社員に対して、そう言う目線で見ています。この社員の誕生日は?どういう服装で、彼女はいるかいないか?なんとなく酒は飲むのかな?どうかな?とか。
昔、社員と接待するときに「あの人タバコ吸ってるんだから銘柄ぐらい覚えとけ」とか、「あの人お酒は飲まなくて、スタートはウーロン茶からだろ」とか、僕は当たり前に覚えるものだと思っていました。それを言っても、社員はなかなかできない。
髪切ったりとかネイル変えたりとか服装変えたりとかも気づく。
僕は社員に言ってても、社員はなかなかできないものです。得意・不得意もあります。これはDNAなんだと感じました(笑)。
粟津 それに気づいて、さらにその一歩先を深掘りするみたいなところなんでしょうね。
髙倉 そうですね、今仕掛けている新商品も、その先にこれがくるよなと感じており、現在、色々とリサーチしています。
粟津 その能力はいつ培われたのでしょうか?
髙倉 幼少期の3歳前後に、大家族の中で育った環境でしょうか。
粟津 次男だから、長男とか三男とのバランスとか、生まれた原体験って大切ですね。
髙倉 それが使命とピタッとうまくハマれば、俺は楽なんだけど、でも例えばこれが粟津社長の場合だったら多分しんどいだろうと思います。逆もまた然りで。
粟津 僕は長男ですからね(笑)。人の意見を聞くよりも、僕は自分の中で答えを常に持っています。それが長男と次男の差なんでしょうか。
髙倉 人の型って言うのは、幼少期に兄弟や親との関係で作られていくもので、5〜6歳までには型が決まるようです。僕も大家族で、おじいちゃん・おばあちゃんに育てられてきたので、褒められて育ってきたんです。同じ家でも長男として育ってたら全くタイプが違いったと思います。
粟津 なるほどです。そのころの自分の強みとかやり方を思い出して、ビジネスの勝ちパターンを考えるのも1つのやり方でしょうか。
髙倉 そうですね。あとは、幼少期のトラウマとかも潜在意識として残るということが言われています。だから、幼稚園の時は特にできることもなかったので、僕はダメな子なんだって言うのが刷り込まれていることが強かったです。
それを剥ぎとることが大変でした。出身高校が日大三高というスポーツが強いところで、同級生にプロ野球選手、アメフトで全国出場、その他テニスでなど。そんな人達と一緒に体育をしているので、自分はできないんだなと、思ってました。そこから世間に出ていくと、自分は、運動神経が悪いわけじゃないんだと思いました。
粟津 その一流の人と接してきたことは、今に生きていますか?
髙倉 生きてますね。所作に出ます。一流って呼ばれている人の所作が下品だと好きにならないし、男も女もセクシーな人が好きです。
粟津 僕大丈夫ですか?(笑)
髙倉 大丈夫です(笑)。最近凄くセクシーになってきましたね。粟津社長はものすごく変わったと思っています。よく学び、真似る。いいと思ったことをどんどん取り入れるところがあります。これも能力だし、これからの粟津社長はどんどん変化していくと思う。
粟津 ありがとうございます。僕は負けず嫌いなんで、髙倉社長のここがいいと思った能力とかに追いつきたいと思っています。
看板ドックで世界を目指す
粟津 看板ドックをさらに伸ばしていく戦略を教えてください。
髙倉 日本の次はアジアだと思っています。ヨーロッパは、建物の建て替えをあまりしないので、今後、看板で問題が出て地域はアジアだと思っています。
粟津 アジアの看板ですか。老朽化して落下しそうな、怖い印象があります。
髙倉 そうですね。アジアは急成長しています。そのため設計不良や経年劣化でマンションが倒れたり、柱が倒れたりします。
そういうのが人災だっていうことがわかっていくと、看板ドックがあれば防ぐことができます。日本は地震大国なので修復するノウハウをすごく持っていると思います。そのノウハウを活かし、アジアで一番を目指したいと思っています。
粟津 具体的にアジアのどこでしょうか?
髙倉 そこは出会いだと思います。ただし『看板で悲しむ人をゼロにする』には、中国をまず抑えないといけないと思っています。レガーロよりも「看板ドックサービス」が普及してくれればと、本気で思っています。それを版権にするのかっていうのはまたこれからの話ですが。
粟津 看板ドックっていうのは、わが社の「スマホカルテ」とすごく似ています。将来構想も似ています。
髙倉 似ていますね。ニューズドテックの「スマホカルテ」はライフラインで、電源が切れたら大変なことになります。決済もスマホの中に入っている。そう言った意味でもデイリーに必要なものです。
粟津 来年の今頃はマイナンバーもスマホの中に。万が一スマホの中にデータが残っていても大丈夫なような仕組みをつくって行かなければいけない。急に壊れたら大変です。
髙倉 危険予知がとても重要な業種だと思います。
粟津 とくにバッテリー劣化予測っていうのが僕たちのコアな領域です。
髙倉 それがNewsedTech(ニューズドテック、Newsedとは、新しいNewと古いUsedを組み合わせた造語))なんだと思います。中古を安心して使えますよ、だけではなく、新しいスマホにも「スマホカルテ」を入れてもらう。中古にももちろん入っていってほしいし。その両方ですね。
粟津 最後に、髙倉社長にとって“NEWSED(ニューズド)”とは?
髙倉 小学校の時の「たかくら ひろし」に戻っている感覚なんです。当時を否定して、ずーっと生きてきた45歳くらいまでと、「ひろしのままでもいいんだ」と言うことです。悩んで、これじゃダメだと、中・高・社会人・経営者の間、ずっと心の中にありました。しかし「ありのままの自分でいいんだ」って。それが俺にとってのNEWSEDかもしれません。だから今めちゃくちゃワクワクしています。当時の「今日はどんなイタズラしてやろうかな」が、対象が「世の中」に代わり、新サービスに置き換わったという感じですね。
粟津 とても楽しかったです。レガーロの髙倉社長でした。ありがとうございました。
髙倉 ありがとうございました。
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