株式会社ニューズドテック(NewsedTech)

【対談・ニューズドテックを語る】竹中俊×粟津浜一

Date 2022/09/12
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ニューズドテックでは、有識者によるコラム、業界人を対象とした取材記事を定期的に配信する「ニューズドマガジン」を開始しました。導入を検討している企業・法人向けに、これまでに導入した法人事例、導入事例なども配信します。

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粟津 今回は尊敬する若手社会活動家の竹中俊さんです。本日はありがとうございます。最初に自己紹介をお願いします。

竹中 ご紹介ありがとうございます。本日はよろしくお願いいたします。僕はネパールで孤児院の運営をやっているんですが、19歳の大学生の時からはじめて、今年で8年目、現在26歳です。活動のテーマである「貧困問題」を解決しながら、子どもたちの未来を創っていかなくてはとの想いから環境問題に取り組んでいます。社会問題については、全国で講演をやったり、企業と協業してあらゆるSDGsに取り組んでいます。

粟津 19歳で貧困問題に取り組むなんてすごい。学生時代ということですよね。僕はいま42歳ですが、当時の僕は社会問題について考えたこともなかったです。

竹中 ハハハ。最初は遊びですよ。何の気なしに海外旅行へ行ったままの流れで(笑)

「子どもたちのごはんは、オレが食わしてやる」と誓ったネパールの初日

ニューズドテック粟津と対談する竹中俊氏
ニューズドテック代表の粟津浜一と対談する竹中俊氏

粟津 そうですか。でもなぜ海外旅行なんでしょうか?活動をはじめるきっかけについてもっと詳しく教えてください。

竹中 僕は、ずっと小学生からサッカーひとすじで、全国大会に出場するような強豪チームに所属していたんです。ところが大学に入ってビックリしたのは、サッカー部に400人もいて、僕の背番号は名前順だったから339番ですよ(笑)大学4年間、ここにいてもプロサッカー選手にはなれないよなって思って。でもサッカーを辞めたとしても、いったい何をしたらいいんだろうって、毎日、朝練、筋トレ、夜の練習ってやりながら悩んでいたんです。

そして雪のシーズンがきて、サッカーの練習が2週間休みになったんです。初めての長期休みだったんですが、いきなり「日本一周するぞ」って友達に誘われてそのままヒッチハイクで2週間、西日本を旅したんです。そこからスタートして、東日本、沖縄と旅をして日本をぐるっと1周したんですね。それで次は世界だって話になってネパールに行ったんです。

粟津 いきなりの日本一周の旅はどんな感想ですか。何か新しい発見がありましたか? 

竹中 はじめてサッカー以外の世界を見たんです。学校でも、遊ぶ友達もサッカー1色でしたし、どんな仕事をやろうかなって考えても、サッカー関連とか体育に関する人脈しか知らなかったんですね。そんなわけでこの日本一周の旅のなかで、いろんな人たち出会って、生き方、仕事、考え方、悩みに初めて触れて「こんなたくさんの世界があるんだ」って感動しました。もっとたくさんの人に会わなくちゃいけないって思ったんです。

粟津 サッカー以外の人に会っていくのは、竹中さんの場合、簡単ではないですよね。何かアイデアがあったんですか。

竹中 SNSで見つけた面白そうな人に「ごはん行きましょう」「今日、会いたいです」って声をかけて「お話し聞かせてください」なんて言って…。

粟津 すごい!

竹中 3か月で100人ぐらいに会って、昼も夜も知らない人とご飯食べましたよ。僕の方から声かけたのに奢ってもらったりして、ラッキーなこともありました(笑)その時に会った人のなかのひとりが、ネパールで活動している人だったんです。なので「僕も連れて行って」ってお願いをして。それで19歳の時、大学2年生の夏休みにネパールに行くことになりました。

粟津 なるほど、自力で多くの人に会っていった結果、ネパールに繋がった。そしてついに現地に向かうんですね。

竹中 はい。ネパールに着いた最初は、もちろん観光気分でした。見る物すべてに感動しましたね。テレビで見たままの世界ですから(笑)。ワクワクしましたが、そんな観光気分は長くは続かないんです。

粟津 風景が変わってきましたか?

竹中 小さい子どもがあちこちで物乞いしていたり、まだどこから見ても10代の少女が体を売りにきたり…貧しさ、悲惨な光景です。胸が締め付けられました。

粟津 日本では見たことのない貧困のリアルですよね。

竹中 そうです。貧しい子が暮らす施設の見学に行きました。そこにはごはんを毎日食べられない貧しい子たちがいました。僕、その光景を見た時に、感極まっちゃって思わず「おまえらのごはんは、オレが食わしてやるわ」ってそこで決意をしましたね。

粟津 若さですかね。その場で宣言するなんて…。竹中さんは日本一周の時もそうでしたが、パッと決めてしまう即決型なんですか?

竹中 サッカーやっていた時、キャプテンだったんです。なのでチームの目標を決めたり、試合の戦略を考えたり、僕が率先して決めなくてはいけない立場だったんですよね。また決めたことは有言実行するしかないって思ってやってたんで。

粟津 なるほど、リーダー気質なんですね

竹中 あ、そうなんです。僕は学級委員もやりましたし、運動会の応援団長もやりました。

粟津 ぐいぐいと物事を進めていくよう竹中さんの性格は、ネパールの活動でも活かされていくんですよね。その大宣言のあとを聞かせてください。

竹中 日本に帰ったあともずっとネパールの子どもたちのことを考えていて。でも助けてあげたいって思っても、いったいどうやってサポートすればいいのか。ビジネスの経験もなかったわけですから、何も思いつかないんです。まずは募金活動しかないと思って、大学の夏休みに、段ボールに「募金箱」って書いて、駅前で叫んでましたよ(笑)。その他には企業に僕のやりたりことを書いて企画書を送ったり、チャリティイベントを開催したりしたんですが、全然うまくいきませんでした。

講演は300回以上。コロナになって注目されるようになった

竹中俊氏の活動に共感するユーザーが2万人を超える
竹中俊氏の活動に共感するユーザーが2万人を超える

粟津 まるで開拓者ですね。難しいチャレンジだと思いますがその後何か掴みましたか?

竹中 軌道に乗り始めたのは、4年前からコロナ時代が始まったころです。日本で環境問題が注目され始めてからですね。僕のSNSの数字が、あの頃から急に伸び始めたんです。まだコロナ含め社会活動について「誰の話を聞いて」「どうやって動いたら効果的」なのか、まだ掴み切れていないときでした。世の中の方が変わってきたんです。今まで僕の話に耳を傾けてくれなかった人たちがどんどんと集まりはじめたんです。

粟津 なるほど。コロナをきっかけに、国、行政から企業まで加速度的に社会問題に貢献する動きになりました。

竹中 日本でも仕事を失う人が増えてきたり、学級閉鎖で行き場がなくなった子どもたちが出てきて、みんなが生きづらさを感じるようになって、そんな中「貧困」という社会問題をずっと発信し続けている奴がいるぞってことで注目されはじめたんです。

粟津 どういうキーワードで検索すれば、竹中さんとアクセスできるんですか。これまでどんな人たちが集まってきましたか。

竹中 インスタだと「環境問題」「貧困問題」というワードで上位にきます。最初は僕も大学生でしたから、大学生同士繋がることが多かったですね。活動当初の僕と同じで、どうやってアクションすればいいかわからないんですよね。いわゆるZ世代と子どもがいるお母さんたちですね。

粟津 自分たちに何ができるのか思案中の大学生と、子どもが成長した時のために今から環境問題を解決したいと考えている母親ということですね。なるほど。その後竹中さんの活動はどんな風に変わっていきましたか。

竹中 その後全国での講演活動が増えていきました。オンラインもリアルもです。4年間で300回以上やりました。僕の講演を聞いてくれた人の中に、子ども食堂をはじめた方がいますし、企業のなかには、SDGsの部署のリーダーとして、スムーズに取り組むことが出来たって言っていた方もいます。一緒にネパールに行った人もいっぱいいます。

粟津 さすがの行動力ですね。海外の先進国に比べて、まだまだ日本の社会活動は遅れている印象がありますが、最近になって行政、民間の動向について変化が表れてきましたか。

竹中 民間の動きについては良い方に増えてきていると実感しています。例えば5年前に比べて子ども食堂が6000か所に増えました。でも見えない貧困や虐待など、子どもの問題を取り上げると残念ながら増えているので、もっと行政と連携して情報を共有する必要があると思っています。

粟津 現場の声を行政や企業に届けるのが竹中さんの役目ですね。竹中さんの視点で、現場で求められていることは何でしょう。

竹中 世の中の動きとしては、以前に比べると、具体的な動きも出てきて、行政の動きもよくなってきていると感じています。ただ、社会問題の解決に向けて、具体的にサポートしたいって志を持っても、どの企業や団体と組んで、どうやって動けばいいのか、わからない人たちが多いんです。また同時に企業側もSDGsの施策を積極的に展開していく環境になりつつも、どこの活動家や団体とどんな形で協業したら有効的なのかわからないんですよね。だからそのかけ橋が必要。二者をマッチングしていく動きが重要なんです。

粟津 なるほど良いパートナー探しが必要になってきているんですね。

竹中 そうなんです。お互いにそれぞれが求めている部分をきちんと理解して、しっかりと補助することが大事です。そのパートナー探しを加速してきけたらいいなって思っています。

ボランティアでも稼げる日本にしていく

ボランティアがビジネスになる社会を創りたいと願う竹中俊氏
ボランティアがビジネスになる社会を創りたいと願う竹中俊氏

粟津 環境問題の解決に向けて、企業の動きもそれぞれだと思いますが何か企業や日本政府への要望やメッセージはありますか。

竹中 たくさんの企業とやりとりしていますが、よくあるケースは、先にサステナブルの目標設定をして「これぐらいはできるよね」と逆算していくパターンが多いんです。つまり自分たちの通常業務のペースで出来ることを探しているんですね。でも本当は、世界の社会問題を並べて「自分たちはこの部分をやるんだ」って一度言い切って、そこから「今の事業はこうした方がいい」って決めていきたいですよね。

粟津 具体策はありますか。

竹中 社会活動に大きな目標を掲げている人たちがいます。具体的な考えや活動について企業に聞いてもらって、もっと企業活動とリンクさせていくとか。社会活動をやっていきたいと熱量を持っている子たちがいるので、企業はもっと応援してほしいですよね。僕は、おかげさまでやりたい活動を続けるために企業に助けられていますが、せっかく社会活動、環境問題を真剣にやりたいと考えている人たちが、資金の問題があって辞めていってしまうので。

粟津 アメリカ企業では、社会課題が大きければ大きいほど、会社の規模が大きくなる傾向がありますが、日本は社会課題から考える企業は極めて少ない。自分たちは「ここまでならできる」って目先のことだけに囚われてしまいます。日本の企業がミッション経営、パーパス経営になるにはどうしたらいいですかね。

竹中 日本のSDGs、社会活動が遅れていると言われるのは目標設定の仕方です。世界は問題解決に向けての資金、投資、産学への考え方や設定が日本とは全然違います。ボランティアが稼いでいけるのが世界です。日本はまだまだその域にはいっていません。

粟津 アメリカのセカンドライフは、多くが地域貢献だそうです。ボランティア活動をして過ごす方多いんですよね。日本ではあまり聞かないですよね。

竹中 ヨーロッパでは、毎日、気候変動がニュースになっています。いつでも誰とでも気候変動の原因について当たり前のように話をするようです。日本ではそういう話は「意識が高い」なんて言われて、まだまだ日常的な話題ではないんですよね。

僕はSNSでいろんな企業の人と話をしますが、環境問題をビジネスとして捉えて重要視しているので、国民に落とし込むのは難しいと思います。まだオーガニックとか、サステナブルなものって高価じゃないですか。だから購入するという目線にはならない。自分たちの生活が精一杯なのに、高いけど環境にいいものを買えないですよね。

粟津 難しい問題が山積みですよね。ちょっとここでニューズドテックの話をさせてください。

竹中 もちろんです。勉強させてください。

「ニューズドテック」の名前がカッコいい

ニューズドテックのコーポレートサイト
ニューズドテックのコーポレートサイト

【インタビュー】株式会社 ニューズドテック 代表取締役社長 粟津 浜一 -Swich For Social

竹中俊氏が運営するメディア「Swich For Social」より(一般社団法人child support organization)

粟津 弊社は、社名を今年の2月に携帯市場からニューズドテックに変更したんです。「ニューズド」というのが、新品と中古の造語で、両方をうまく使ってモノを長く使うことを、テクノロジーで解決するという意味を込めています。

竹中 カッコいいですね。携帯市場より(笑)

粟津 ハハハ、そうですか。Z世代からみるとどの辺がかっこいいですか?

竹中 名前も意味もかっこいいなって。サステナブルっていわれて、昔に戻ろうとする人が多いんですけど、今まで培ってきたテクノロジーってとても大事ですよね。だからこそ、新しいものやムーブメントが誕生していくわけで。新しいものと昔ながらの想いを融合させてかけ合わせた方が絶対いいなって思います。ですから「ニューズドテック」の意味はとても共感できますね。

粟津 古来から日本には「もったいない」という精神があります。特に文化が栄えた江戸時代は、家を建てるには木を切って建てますが、壊すときはふすまとか柱とか全部分けて、次の家に使うんです。また使えない廃材は、併せて一枚の板にしたりとか、それがだめだったら、燃やして灰をまた肥料として畑に撒いて。すべてが循環型だったんですよね。すごいですよね。つまり循環型社会を作るのは、世界に比べて日本は得意だったんですよね。だから僕たち日本人が世界をリードしていけるんじゃないか、それこそ株式会社ニューズドテックとして、循環型世界を牽引していくのが役割じゃないかって考えているんですけどね。

竹中 携帯業界でリユースの市場ってどのぐらいの規模なんですか?

粟津 日本だと市場規模が約450億円。日本では10人にひとり、もしくは20人にひとりしか、携帯をリユースして使っていないんですが、世界だと3兆円、4兆円マーケットです。4人にひとりが使っているような状況です。

竹中 僕もスマホってリユースして交換できることを知りませんでした。いつも壊れるまで使って、故障したらその日に買いに行って…それの繰り返しでした。

粟津 今や決済もスマホ、マイナンバー、健康保険も…壊れたらたいへんです。身動きできなくなってしまいます。ですからスマホカルテを作って、スマホの状態を診て故障予測ができるようにしたんです。バッテリーも経たると皆さん困るので、バッテリーも将来、いつ、どの程度劣化するかを予測できるようにして。

竹中 すごいリスクヘッジですよね。スマホって、ほんとにデータが飛んだら終わりですもんね。

粟津 バックアップをとっていても、最新データとすぐに繋がるわけではないので、消えたらたいへんですよ。

「今日の中古スマホの取引は、これだけCO2削減した」がわかると面白い!

スマホをリユースすることでCO2が削減に貢献できるというニューズドテック代表・粟津浜一
スマホをリユースすることでCO2が削減に貢献できるというニューズドテック代表・粟津浜一

竹中 ニューズドテックでは、中古のスマホを解体して、使われている部品を、ちゃんと次の中古スマホに利用して循環させるんですよね。

粟津 海外の事例ですが、ガラケーの小さい画面の液晶の部分が、エアコンとかリモコン、モニターに生まれ変わるんです。ところが日本は、メーカーさんがちゃんとした品質のものを作りますから、海外とは違うんですね。海外だとリユース商品という考え方があるんで。

竹中 食、服、住居だと、最近はサステナブルとか循環型とか、よく聞くようになりましたが、スマホは誰もが使っているものなのに…なんででしょうね。

粟津 リサイクルして、部品ごとに解体をして、次のものに利用していくという発想がまだまだ希薄なんですよね。スマホを手始めに、僕たちがそういう文化を作っていきたいです。

竹中 たとえば中古スマホの利用で、CO2が減るとか、ごみが減るとか、具体的な指標があるんですか?

粟津 まさにこれからやっていこうと思っています。指標がないとわかりにくいですよね。僕たちは年間40万台ぐらい、中古を買取して販売しているんですけど「台数」だとイメージがわかないってことですよね。

竹中 そうなんですよね。サステナブルな指標をわかりやすくクリーンにしていくといいですよね。僕らは、買い物するときに、モノを買ってメーカーを応援するだけじゃなくて、自分たちが環境問題に貢献していると意識したいんですよね。そういう世代なんです。たとえば僕らは、家でゴミを減らした場合、どれだけCO2を削減しているのかという計算をするんですよ(笑)。

粟津 そんな計算まで!?すごいですね。

竹中 たとえば、コンポスト始めてゴミを減らすと、冷暖房のこれほどの節約時間に匹敵するっていう計算ができるんです。だから企業のホームページをよく見て、僕らが10人でこの活動をやったらもっとこんなことができるよ。100人でこれやったらもっとこの部分を減らせるよっていう提案するんです。そうやって貢献する人たちを広げていくんです。そういうゲーム感覚なんです。

粟津 ニューズドテックのホームページでも「今日の中古スマホの取引は、これだけCO2削減した」なんてがわかると面白いかもしれないですね。

竹中 そうですね。環境問題を無くすために、たとえば1000人がスマホを廃棄しないで、故障前に交換サービスを利用すると、これだけCO2が削減できるとわかったら、大きな目標作れるんじゃないかな。

スマホを長く使うことは「貧困問題」の解決にも直結している

竹中俊氏のコメントに納得するニューズドテック代表・粟津浜一
竹中俊氏のコメントに納得するニューズドテック代表・粟津浜一

粟津 竹中さん、楽しそうですよね(笑)。僕は小さいころから宇宙のエンジニアになりたかったのですが、竹中さんたちが40歳、50歳になったころは、もう月旅行や移住なんて普通になって、宇宙でトレーニングしたりしているかもしれません。そうすると、宇宙ステーションや月面ホテルでモノを捨てるってどんなことになるんでしょうね。

竹中 何も燃やせないですしね。

粟津 そうするとモノが壊れたら部品だけ交換して、また使うことになるし、そもそも部品自体が違うモノと共有可能な形態だったり…。つまり「物は捨てない」って発想になる。そうするとさっき話をしたように、江戸時代に戻るっていう考え方になりますよね。僕は30年、40年後、もっと早いうちに、そんな新しいモデルを地球に作りたいんですよね。

竹中 なるほど、想像すると楽しいですよね。みんなが当たり前のように自分たちでできたら面白いですよね。

粟津 これからの時代、リユースとかリサイクルという概念ではなくて、たぶんもっと上の概念になると思っていて、サーキュラーですべて循環して生産する世界を構築していかなきゃいけないと思うんです。

竹中 それぞれの専門がうまく協業しあって、助け合っていく循環の仕方ですね。携帯業界は、粟津さんの考え方があるなら安心ですね。

粟津 いつかそういうスマホができるといいですね。完全循環型の自分で修理ができて、自分でバージョンアップして。

竹中 ずっと同じものを使いながら「これとこれだけ交換する」とかね。スマホって新しいものを使うとき、最初は難しいですからね。

ニューズドテックについて語り合う竹中俊氏と粟津浜一
ニューズドテックについて語り合う竹中俊氏と粟津浜一

粟津 僕らのお客様のなかにも、今使っている端末から新しい違うものに変えると、また最初から覚えなくてはいけない、面倒くさいから同じ端末がいいという方がいます。そういうお客様は同じ端末をずっと長く使ってくださるので、僕たちのやりたいビジョンとマッチするんですよね。

竹中 携帯の業界は、新品をどんどん作るという流れのなかでも、できるだけ循環させていこうという流れになっていってるんですか。

粟津 基本的にメインストリームとしては、新品を生産することになっていますが、アップルさんを中心に、少しずつ端末を個人撤収にするようになってきてますね。それを回収して、下取りするという流れになってきているので、これからどんどん増えていくと思います。

実は、日本国内に埋蔵ガラケーが、2億4500万台ぐらいあるといわれていて。

竹中 レアメタルがそんなに…。携帯は地下資源が使われているわけですからね。それは貧困のもとであり、紛争のもとですよね。現状のもので循環できたら、資源のとりあいが無くなって、無駄に地下資源を使わなくていい。それが理想的ですよね。

粟津 貧困問題の一助になるよう、携帯やスマホを無償で提供するのにいい場所はありますか。弊社では「スマホカエルプロジェクト」というスマホを皆さまから無償回収させてもらって、いろんな企業、団体にプレゼントする事業がありまして、何か役立てそうな場所がありますか。 

竹中 そうですね、海外だとたくさんありますね。ネパールでも、どんどん携帯やパソコンの事業が取り入れられていますが、やっぱり持ってない子は何もできません。今はYouTubeで勉強できますし、学校に行けなくても端末があれば最新の情報を知ることができます。中古の端末でネットにさえアクセスできれば、田舎の子が有名大学合格ってことも夢じゃないかも。

粟津 人材育成が継続できれば、また国力につながりますからね。日本国内だといかがですか。提供できそうな場所はありますか。

竹中 NPOとか子どもの支援団体とか提供先はあると思います。体験格差とか情報格差がありますからね。また、日本の子どもたちはほとんど携帯を持っていますが、無理して買ってもらっている子もいます。そんな家庭や施設に提供すると大きな貢献事業になると思います。

粟津 そうですよね。社内でまた検討したいと思います。最後に竹中さんの将来のビジョンを聞かせてください。

竹中 社会活動が、世の中で大きな仕事になっていくことを願っています。世界のごはんを食べられない子どもたちにご飯を届ける人がボランティアで、児童労働をさせている企業がしっかりお金を稼いでいるという構図は無くしていきたいですね。誰かのために動くのか、極端なことをいうと、ゴミ拾いだって仕事になってもいいと思うんですね。本来僕がずっとやりたかったのは、貧しい子どもたちにご飯を届け続けること。ごはんを届けるという仕事があって、そんなボランティアが食べていけないという現状を僕は日本から無くしていきたいって思います。

粟津 素晴らしいですね。僕らもご協力できることがあったら竹中さんと一緒に何かできるといいですよね。

竹中 よろしくお願いします。ありがとうございました。

○竹中俊氏の活動について

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この記事を書いた人

新品市場と中古市場のバランスに面白みを感じてこれまで15年以上も中古市場に関わるものの、唯一スマホ業界だけが中古の成長に遅れを感じている。ニューズドテックが掲げる使命に魅せられて、スマホ業界、敷いてはデバイス業界を盛り上げたいと思いニューズドテックにジョインした中古スマホ業界を俯瞰的にみる人物の一人。